「商友会ニュース」

元日本海軍特攻兵石崎幸夫様フィリピン訪問

この度、商友会(フィリピン日本人中小企業連合会)は、元日本海軍特攻兵石崎幸夫様の戦後日本帰国後67年間の念願である残された戦友の慰霊を生前にどうしても弔いたいとの満90歳での強い願いと今のうちに行かなければもう機会は無いとの強い気持ちに感動しフィリピン67年ぶりの訪問に微力ながらお手伝いをする事になりました。
その際戦争体験に基づくドキュメンタリー映像の制作を戦争体験者が少なくなっている現実を捉え貴重な戦争体験を後世の人々に伝え残すためにもと現地NGO GMAG(グローバル・モニタリング・アシスタンス。グープ)の協力を得、共同制作することになりました。

石崎さんフィリピン滞在日程

2013年8月13日 石崎さん マニラ到着
2013年8月14日午前日本大使館表敬訪問 領事班長との面談
 午後平和記念公園(日本人墓地)
  モンテンルパ刑務所(当時捕虜収容所)
15日午前日本終戦記念日 フィリピン戦没者慰霊祭参加
 午後元フィリピン兵との面談撮影
16日午前休息
 午後YouTubeの戦争体験談撮影(ダイアモンドホテル内)
17日 神風特攻基地訪問 体調不良の為終日休養
18日 コレヒドール島訪問 終日
19日 帰国

フィリピン訪問及びドキュメンタリー制作に当たり多くの方々並び団体に賛同頂きご支援と協力を受け堪りました事をここに感謝と共に御礼申し上げます。

団体名

在フィリピン日本大使館
(GMAG)NGO GLOBAL MONITORING AND ASSISTANCE GROUP
コレヒドール財団
NHKマニラ支局
マニラ ダイアモンドホテル
エルクスクラブ マカチィ (アメリカ人会員制クラブ)
ロータリークラブ マニラ バグンバアヤン
マニラ市商工会議所 
商友会(フィリピン中小企業連合会
その他

NHK出版

石崎幸夫元日本海軍特攻兵コレヒドール島激戦地での現在唯一の生存者90歳
67年ぶりのフィリピン マニラ ダイアモンドホテルにて

マニラ首都圏モンテンルパ市に世界記念公園内  世界平和塔

世界記念公園内の世界平和観音

世界平和観音で戦友に思いを込めて

敷地内で絞首刑された兵士の写真を見て中に、もしかして当時の友が

時間を忘れ

通称モンテンルパ刑務所、正式にはモンテンルパ・ニュービリビット監獄

いよいよ当時石崎さんが捕虜となっておられた収容されていた館内へ
67年ぶりの本人の思いは?

刑務官に熱く当時の話を語る石崎さん
これから先は、撮影禁止

2013年8月15日日本終戦記念日フィリピン日本人戦没者慰霊祭(在フィリピン日本大使館主催)

献花

在フィリピン日本大使館 全権大使にご挨拶。ト部全権大使よりねぎらいの言葉を頂く石崎さん
左奥 全権大使夫人

左からNGO GMAG 代表 石崎さん 在フィリピン全権大使 石崎孫 商友会副会長

各マニラ駐在のテレビ局その他新聞記者の取材を受け当時の事を熱く語る。

NHKマニラ支局のテレビ取材

石崎さん慰霊祭に花輪の寄与

翌日の地元紙マニラ新聞 その他各新聞社でも
NHKでは、15日当日の日本時間6時30分にNHKニュースで放送
その他、NHKBSなど

左 元フィリピン兵士92歳 中 元日本兵士90歳  右 NGO GMAGメディア担当取締役
今回の石崎さんのドキュメンタリー制作デレクター・彼の発案で当時敵同士だった、元フィリピン兵(彼は当時マッカサーの側近)と元日本兵の戦後67年の歳月を経て現在の平和な関係が

2人は30分前に会ったばかりだが、67年の年月を忘れたかのように当時は敵対していた2人が無邪気に意気投合、その2人の様子を拝見していると、戦争とは?

2人の当時の体験談の撮影準備

対談撮影後、元フィリピン将校の家族と記念写真

いよいよ念願の67年前戦友と共に戦ったコレヒドール島訪問
現在コレヒドール島は、フィリピン政府の下コレヒドール財団が維持管理している
従って、今回の撮影にはコレヒドール財団の許可及び協力を葵での撮影

コレヒドール行きの船内で当時の状況を語る
石崎さんの中には当時の事が記憶の中から鮮明に
少し興奮気味にも

コレヒドール島 船を降りて

用意した車にも乗らず、炎天下の中いきなり当時の記憶を追っかけて歩き出す。90歳とは思えない元気さ。それに、戸惑いついて行く撮影スタッフ

当時の日本軍司令部跡

観光客が話を聞き付け石崎さんの所へ

ちょっと一休みに
アメリカから観光で来た少女学校の宿題でコレヒドール島のレポートの記念にと石崎さんと記念写真を****平和です****

その後、次々と記念写真のリクエスト快く写真を撮る
当時の地獄のようなコレヒドール島の思い出が67年後楽しい思い出に

マリンタトンネル・コレヒドール島の中でも石崎さんが最も訪れたい場所の一つだったそうです。石崎さんは、当時このマリンタ・トンネルで寝起きをされており、毎日敵と戦われておられました。

コレヒドール財団より特別に撮影許可を頂いてのマリンタトンネル内の撮影

トンネル入口の塹壕、ここで石崎さん達日本兵は空から陸からの来る敵との応戦をしていたそうです。多くの戦友をここで見送られました。

再び観光客に囲まれて当時の話や記念写真を

いよいよ最後の場所へ
激しい戦闘で多くの戦友が帰らぬ人となり、その戦友達の遺体を埋葬した場所を当時の記憶を辿りながら島中を探し位置関係からこの付近に埋葬したのだと。
遺骨遺品何一つ帰還出来なくコレヒドール島に埋葬した戦友のことが67年間脳裏から離れず必ず戻ると埋葬した戦友と自分に誓い線香と酒を備え戦友の冥福を祈りたいとの強い意志で67年ぶりに今ここに

コレヒドール島桟橋にて、コレヒドール財団理事長の出迎えを受け石崎さんご挨拶

コレヒドール財団理事長に戦争遺産の保存にと石崎さんより寄付の贈与

一路マニラへ


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